京都府中京区
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三条から御池界隈の幕末史跡めぐり
京都の三条から御池通りを上がったあたりも四条から三条界隈に負けず幕末関係の史跡があります。龍馬と同郷の武市半平太や吉村寅太郎が仮住まいしていた跡地や長州藩邸の跡地などもありますよ^^
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四条から三条の河原町・木屋町の幕末史跡めぐり
河原町、木屋町の四条から三条の間には、いろいろなお店でにぎわっていますが、実はひっそりと幕末に活躍した人たちに関係する史跡跡がたくさんあります。龍馬が殺害された場所もその中の一つです。今回、この界隈にある龍馬にまつわる史跡跡をご紹介します。
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龍馬と慎太郎最期の場所「近江屋」
慶応3(1867)年11月15日、龍馬と中岡慎太郎は、刺客に襲われ天に召されました。わずか1ヵ月前に大政奉還され、ようやくこれから新しい日本をつくっていこうという矢先に・・・その場所「近江屋」の跡地は、京都一の繁華街、河原町通りにひっそりと石碑が立っています。
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京の「武市半平太(瑞山)」仮住まい石碑
土佐時代からの龍馬の盟友、武市半平太。お互いをあだ名で呼び合うほどの仲でした。半平太は、一時は一藩勤王へ導くことに成功し京で活躍していましたが、山内容堂により土佐へ戻され最後には切腹させられました。今回は京都での半平太に関する史跡めぐりです。
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尊王攘夷志士達の重要拠点。京都の長州藩邸
幕末、尊王攘夷志士達の拠点となったのが京都の長州藩邸でした。が、八月十八日の政変で追われ、さらに禁門の変(蛤御門の変)で負けたときに、自分たちの手で屋敷に火を放ち焼けおちました。今は京都ホテルオークラの敷地内にひっそりと石碑が立っています。
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幕末京都時代の桂小五郎
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河原町高瀬川べりにある土佐藩邸跡
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尊王攘夷の急先鋒、京都の「吉村寅太郎」