長州藩
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蛤御門の変で果てた志士たちが眠る上善寺と相国寺
禁門の変では、長州藩士たちと幕府軍が武力衝突して壮絶な戦いとなりました。その時に亡くなった長州藩士と薩摩藩士たちが眠るお寺が御所の近くにあり、上善寺と相国寺の2ヵ所になります。今回はそこを訪ねてみました。
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禁門の変で自ら命を絶った久坂玄瑞
吉田松陰が、高杉晋作と並んで高くその人物・能力を評価した久坂玄瑞。龍馬が脱藩するのに大きな影響を与えたともいわれています。玄瑞は、その能力を活かしきる前に25歳という若さで、禁門の変の時に自刃して亡くなっています。そのお墓は、龍馬と同じ京都霊山護国神社にあります。
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京を追われてしまった公卿「三条実美」
三条実美は、公卿のなかでも尊王攘夷の志がとても強い人でした。長州藩とともに一時は天皇をも自分たちの意見に沿わせましたが、薩摩藩と会津藩の結託によって京都を追われる身になってしまったんですね。
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八月十八日の政変は土佐藩志士にも影響が!
文久3(1863年)年八月十八日に起きた政変をその日付けをとって八月十八日の政変といいます。この政変によって長州藩は、政治の舞台から去ることになりました。でも、その影響は長州だけでなく龍馬たち土佐藩にも及ぶことになったんです>_<
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京都御所の蛤御門に残る「禁門の変」の跡
どの藩よりも天皇を慕い、尊王攘夷の志が強かった長州藩ですが、それゆえに行動は過激になっていき、結果的に孝明天皇から嫌われてしまうことに…そんな長州藩が天皇を奪還すべく武力行使にでた禁門の変の爪跡は、今も京都御所の蛤御門に残っています。
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幕末の歴史的転換「薩長同盟」
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尊王攘夷志士達の重要拠点。京都の長州藩邸
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幕末京都時代の桂小五郎