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吉村寅太郎(よしむらとらたろう)(虎太郎ともいう)は、
龍馬、武市半平太(たけちはんぺいた)、
中岡慎太郎(なかおかしんたろう)とともに
土佐の尊王攘夷志士(そんのうじょういしし)の四天王の一人。
土佐藩士の中で一番最初に脱藩し、
尊王攘夷志士として活動した人です。
そして、まだ倒幕の機が熟しきる前に、
四天王の中で一番最初に志半ばで亡くなりました。
天皇を崇拝し、黒船以降開国をせまる外国を追い払うべく
尊王攘夷の志士として、誰よりも先に土佐藩を捨てるほどの
情熱と行動力を持っていた寅太郎。
吉村寅太郎の肖像画を見る限りでは、
熱さや強さはあまり表面に見えてきませんね。
どちらかというと、私は人想いの温かさを感じました。
温かさといえば、吉村寅次郎の優しさ、心遣いを
感じるエピソードがあります。
文久2(1862)年3月4日に寅太郎が脱藩してから少し遅れて
龍馬と沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)は、3月24日に脱藩し、
そして3月27日に伊予長浜(現:愛媛)の冨谷金兵衛邸に泊りました。
そこには、今も寅太郎の手紙があり、
『両友此度罷越候間萬事宜しく』
※友二人が今度来るので万事よろしく
と書かれているそうです。
先に脱藩した寅太郎からの、後から来る龍馬らへの
心遣いがわかるものですね^^
左側は寺田屋外観、右側寺田屋事件の石碑
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寅太郎は、脱藩した年の4月23日、
薩摩藩の急進派の尊王攘夷の志士たちとともに
伏見寺田屋に集まり、倒幕の蜂起の計画をしていました。
そこへ薩摩藩主の父、島津久光(しまづひさみつ)の命令によって、
同じ薩摩藩士が鎮圧に来ました。
鎮圧にきた薩摩藩士たちは、他藩の志士には構わず、
自藩の藩士に計画をとどまるよう説得しますが、
説得を拒否されたら、上意討ちで斬るように指示を受けており、
結果的に薩摩藩士たち9名が亡くなりました。
この寺田屋に一緒に居たため、寅太郎は、
土佐(現:高知)へ送り返され、8ヶ月間牢に入れられました。
吉村寅太郎寓居跡
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投獄から釈放された後、文久3年にはまた土佐を出て、
京(現:京都)に住んでいました。
そのときに住んでいた家は、武市半平太(瑞山(ずいざん))と隣合わせ。
もともと寅次郎が尊王攘夷の志士になるきっかけのひとつが
半平太に剣術を習いに行ったことでした。
そこで、剣術だけでなく、半平太の考え方、思想を学び、
影響を受け、とても半平太を尊敬していたそうです。
半平太が文久元(1861)年に土佐勤王党をつくったときには、
寅太郎は、当然参加しています。
この勤王党には、龍馬も当初は参加していますね^^
でも、寅太郎や龍馬は、半平太が掲げていた
「土佐藩が一丸となっての勤王は無理だ!」
と見切りをつけて、藩を捨て、
自分の信じる志士としての道を歩くことになるんです。
ですが、京では隣同士に住んでいたということは、
倒幕の方法は違っても、やはり師弟の絆は深かったんでしょうね^^
霊山護国神社境内
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寅太郎は、2度目に京都へ来た文久3(1863)年に
討幕軍「天誅組(天忠組)」を結成。
そして長州藩や長州藩と心を通じている三条実美ら公卿により、
孝明天皇の神武天皇陵参拝と
攘夷親征の詔勅(天皇の意思文書)が出されました。
それを受け、脱藩後は長州藩に守ってもらっていた天誅組は、
その先鋒になろうとし、倒幕の兵を上げ、大和五条代官所を襲撃。
一時は優勢でしたが、八月十八日の政変で
長州藩や三条実美らは失脚、朝敵となるなど
情勢は大きく変わり、最後は大和鷲家口(現:奈良)で戦死。
享年27歳という若さでした。
この挙兵は、失敗に終わったわけですが、
なんだか熱い思いが強すぎた、若さゆえの無謀さというか
先を急ぎすぎたようにも感じます。
惜しい人材を早くに亡くしてしまった感じがしますよね。
私がえらそうに言えた義理ではありませんが…^^;
龍馬自身も、故郷の姪、春猪(はるい)宛の手紙の中で
その中に池蔵太(いけくらた)、吉村虎太郎、平井の親戚の池田の弟、
水道町のおさとの坊主など先日みんな負けてしまったそうです。
これは皆々、やり方が悪いのです。
京(朝廷)より討手を出すよう諸藩に仰せつけられたようです。
皆々どうも戦の仕方を知らず、ただひと負けに負けたそうです。
気の毒に、私が少し指図をしたなら
まだまだ討手の勢いはわずかな寄り合いだったので
打ち破れただろうにと、痛ましく思います。』
この挙兵について、残念な気持ちを書いていますね。
上の写真は、前回、霊山護国神社(りょうぜんごこくじんじゃ)に
行ったときに寅太郎の墓標の写真を撮り忘れたので、
今回は霊山護国神社境内の写真になります。
次回行ったときに撮り直して差し替えますねm(__)m
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