元治元(1864)年7月18日から19日にかけて起きた禁門の変(蛤御門の変)。
前年の八月十八日の政変で京都を追われていた長州藩兵が、
長州藩主の無実の罪を晴らして、さらに天皇を奪って長州(現:山口)へ連れて帰ろうと、
ついに暴走して、京都御所で幕府軍と武力衝突をした事件ですね。
この事件で多くの藩士たちが命を落としました。
今回は、禁門の変で命を落とした長州藩士と薩摩藩士が眠るお寺に行ってきました。
長州藩士8人が眠る上善寺
上善寺には、禁門の変で命を落とした、長州藩士8名の首塚があります。
もともと長州藩の菩提寺というわけではなく、福井藩の菩提寺だったんです。
幕府側の福井藩士の桑山重蔵が、禁門の変で亡くなった長州藩士を弔うために、
主君の松平春嶽の許しを得て手厚く葬られたというわけです。
敵の藩士を藩主に直訴してまで、藩の菩提寺にきちんと弔うなんて…
桑山重蔵という人は、男気のある方だったんですね。
この首塚には、吉田松陰の松下村塾で松陰~高く評価を受け、
久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿とならんで松門の四天王と呼ばれた入江九一をはじめ、
原道太、半田門吉、奈須俊平、田村育蔵、緒方弥左衛門、小橋友之輔
それに無名藩士1名が眠っています。
上善寺の墓地の中に長州人首塚があるようですが、
墓地へは住職が住んでいらっしゃるところを抜けないといけないようで、
今回は墓地へは行けませんでした。
でも、上善寺の門前に「贈 正四位入江九一他七名首塚」と書かれた石碑がありました。
上善寺の最寄りの駅は、京都市営地下鉄の「鞍馬口」駅になります。
駅から徒歩5分くらいで住宅街の中にあって静かなたたずまいでした。
薩摩藩士の墓がある相国寺
上善寺の少し南側で同志社大学のすぐ北側にある相国寺は、薩摩藩と縁が深く、
薩摩藩の京都における3つ目の藩邸「二本松屋敷」は、その相国寺の土地を借りて作られました。
二本松屋敷といえば、龍馬が大活躍した薩長同盟の舞台となったところですよね。
薩摩藩にとっては、薩長同盟以外にも幕末における重要な拠点となったところです。
同志社大学今出川キャンパスの北側にある相国寺の東門を出てさらに少し東に行くと、
禁門の変と鳥羽伏見の戦いで亡くなった薩摩藩士72名が眠るお墓があります。
「甲子役戊辰役 薩摩戦死者墓」です。
敷地は施錠されているので中に入ることはできませんが、外からは見ることができます。
相国寺は、京都市営地下鉄の「今出川」駅が最寄りとなります。
相国寺の敷地はかなり広いです。
今の同志社大学、かつての薩摩藩邸があった場所も相国寺の敷地だったので、
相当大きい力のあるお寺なんでしょうねえ。
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