京都市

国の史跡に指定「岩倉具視幽棲旧宅」

岩倉具視旧宅外観

岩倉具視幽棲旧宅 当サイト左京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

岩倉具視(いわくらともみ)と龍馬は、
そんなに密な関係ではなく、土佐藩士では、
中岡慎太郎(なかおかしんたろう)の方が懇意だったんですね。

なぜかというと…
龍馬も慎太郎も幕府をつぶすという目的は同じだったんですが、
龍馬は、平和的に将軍が自ら政権を放棄するという
大政奉還による「倒幕派」で、
慎太郎は武力を使っての「討幕派」だったんですね。

で、岩倉具視は、武力討幕派の公卿として、
朝廷に働きかけている中心的存在だったからです。

でも龍馬は、慎太郎に大政奉還案を説得したあと、
岩倉具視にも大政奉還を理解してもらうために
慎太郎と一緒に岩倉邸を、
慶応3(1867)年6月25日に訪問していますね^^

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視旧宅玄関付近岩倉具視旧宅室内

岩倉具視旧宅間取り図

京都市左京区岩倉にある
岩倉具視の幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)の見学に行ってきました!

昭和生まれの人なら、岩倉具視といえば、
「500円札の肖像画の人!」
そんな印象かもしれませんね^^

この旧宅へは、元治元(1864)年に
大工の藤吉の居宅(現在の付属室部分)を購入して、
母屋と繋屋を増築して住んだそうなんです。

購入当時は、相当古かったようで、その日記には、

「終日掃除をしたが古家のため、
なかなか住めるようにならない。とにかく涙が出る。」

と書かれているほどのものだったようですね。

でも岩倉具視の旧宅は、
昭和7(1932)年には、国の指定史跡となっているんですよ。
時代が変われば、価値も変わるんですねえ^^

茅葺の屋根で岩倉具視が住んでいた当時の面影が
しっかり残っています^^

でも、平成20(2008)年から4年間かけて
京都市が本格的な修理を行ったそうなので、
障子などはとてもきれいになっていましたよ^^

岩倉具視旧宅障子柄岩倉具視旧宅中庭

広さは、母屋が約60㎡、付属室が約67㎡、
繋屋が約9㎡の平屋で、中庭もありました。

でも障子の枠の柄は、当時のままだと思うんですよねえ。
かなりあせていますが、紅葉の柄のようですよね。
そして、当時としてはめずらしい、
ガラスがはめ込まれた障子だったんですね。

岩倉具視邸炊事場岩倉具視旧宅梁   

炊事場も当時のままの状態でした。
光の加減で写真がちょっと暗く感じますが、
当時は電球もなかったでしょうから、
実際この写真の感じのままだったのかもしれませんねえ^^;                   

梁も綺麗なまっすぐな木ではないところが、
味がありますよね^^

岩倉具視旧宅松の木岩倉具視遺髪塚

母屋の横にある庭にある松の木は、
岩倉具視本人が植えたものだそうです。

横に伸びた枝を添え木で支えているのが
樹齢を感じさせますね。

そして、具視の遺髪を収めた慰霊碑がありました。
写真には写っていませんが、
隣には具視の子息の具定と具経の碑もありましたよ。

対岳文庫

そして敷地内には、対岳文庫(たいがくぶんこ)といって、
岩倉具視の遺品や明治維新関係の資料などが展示されていました。

対岳文庫の中は撮影禁止だったんですよねえ。
旧宅は、たくさん写真を撮らせてもらえたのになあ…

残念でしたっ。

でも、明治維新後のものが多くて
幕末当時のものはあまりなかったですね^^;

この対岳文庫の建物も、平成19(2007)年に、
国登録有形文化財に登録されています。

岩倉の風景

岩倉川べり岩倉風景

岩倉は、京都市内とはいっても、
鞍馬山や比叡山にもほど近く、
とても静かな空気のきれいなところでした。

一緒に行った主人が、
「きれいな川のせせらぎが感じられて
自然も豊かなこんなところに住みたい!」
って、思わず言うくらいのところです^^

叡山電鉄岩倉駅叡山電鉄岩倉駅看板

今回は、出町柳駅から叡山電鉄で岩倉駅まで行って、
そこからぶらぶらと景色を見ながら歩いて
岩倉具視幽棲旧宅へ行きました。

だいたい歩く時間は20分くらいでした。
川に沿って歩いて行くので
とっても気持ちよかったです^^

岩倉具視幽閉のわけ

岩倉具視旧宅石碑
岩倉具視幽棲旧宅石碑 当サイト左京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

岩倉具視は、幕末から明治維新にかけて活躍した公卿です。

なぜ、岩倉具視が御所から離れた岩倉の地で
住むことになったかというと…

ペリー来航で日本が揺れ始めたころ、
具視は、公武合体に努め、孝明天皇の妹の
和宮の将軍家への降嫁を勧めたことで
尊王攘夷派から佐幕派として見られました。

そうして尊王攘夷運動が高まってきた
文久2(1862)年には官を退き、蟄居するはめになりました。

その際には、具視が京から退去しないと
天誅に処すという予告文まで受けたため、
住んでいた屋敷にいることもできなくなり、
岩倉の地へ来ることになったんですね。

ですが、その後考えは倒幕派に変わっていき、
孝明天皇が崩御した後は、
薩摩藩の大久保利通(おおくぼとしみち)らとともに
武力討幕のために岩倉に居ながら朝廷への工作をしたそうです。

そして、慶応3(1867)年10月14日に、
倒幕の密勅が下りました!

でも奇遇にもその数時間前に
徳川慶喜が大政奉還を決めたんですね。

そのためいったんは武力討幕は消えましたが、
その後に具視らの働きで王政復古令が出されました。

そこから、具視ら新政府軍ら官軍対旧幕府軍の戦い、
戊辰戦争へとつながっていったんですね。

岩倉具視幽棲旧館

<見学の案内>
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
入場料:一般 300円
    中学・高校生および高等専門学校生 200円
    小学生 100円
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)
    年末年始(12月29日~1月3日)

<交通の案内>
近くには駐車場がないそうです。

地下鉄烏丸線 国際会館駅から 京都バス24系統 もしくは
京阪電車 三条駅or出町柳駅から 京都バス21・23系統
で、終点「岩倉実相院」下車南へ3分

叡山電鉄「岩倉」駅から北へ約1.4km

<所在地>
住所:京都市左京区岩倉上蔵街100番
電話:075-781-7984

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