京都市東山区の高台にある
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)に
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓があります。
龍馬は高知県出身だから、
私はてっきり高知県で埋葬されていると思っていたので、
初めてここに龍馬たちが眠っていると知ったときは、
とてもびっくりしました。
でも龍馬は、京都の河原町にある「近江屋」に宿泊していて、
中岡慎太郎(なかおかしんたろう)と一緒に居るところを襲われ、
絶命したので、この京都の地に眠ることは、自然なことですね。
ただ、今では高知県護国神社と靖国神社にも、
龍馬は祀られているそうです。
招魂社(しょうこんしゃ)としては、靖国神社が有名ですが、
京都霊山護国神社は、靖国神社創建以前の、
明治元(1868)年につくられたものです。
明治維新の誕生のために奔走し、たおれた志士たち
1356名の御霊が祀られています。
さらに明治以降の戦争や第二次世界大戦の際に
亡くなられた方々も祀られています。
新撰組に襲われた池田屋の変で亡くなった池田屋の主、
池田屋惣兵衛をはじめ、宮部鼎蔵(みやべていぞう)、
望月亀弥太(もちづきかめやた)、北添佶摩(きたぞえきつま)たち、
また禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)で亡くなった
久坂玄瑞(くさかげんずい)、来島又兵衛(きじままたべえ)ら
多くの長州藩の志士達も眠っています。
このほか土佐藩士をはじめ多くの藩の、
幕末に散った志士達のお墓がありました。
でも、幕末に活躍した薩摩藩の志士達のお墓はなかったですね。
すべて鹿児島で祀られているんでしょうか。
龍馬たちのお墓よりさらに上に上がったところに
桂小五郎(木戸孝允)(かつらこごろう(きどたかよし))
のお墓もあります。
龍馬を仲介人とし、長州藩代表の桂小五郎、
薩摩藩代表の西郷隆盛たちによって、薩長同盟は成立しました。
それが大きなひとつのきっかけとなり、
江戸幕府は終わりを告げることになったわけですね。
その龍馬と切っても切れない関係の桂小五郎も
龍馬のすぐそばで眠っているのは感慨深いものがありますねえ^^
龍馬のお墓の前からは、京都の街が一望できます。
龍馬が亡くなってから約150年間、
ずっと京都の街を見守っているんですよね。
日本をひとつにまとめ上げた後は、
船を使って世界をまたにかけての貿易を夢見ていた龍馬。
お墓から見える京都の街並みの向こうには、
今も龍馬には、世界が見えているんでしょうか^^
龍馬のお墓に行くときは
(左側の写真は、京都霊山護国神社までの坂。右側の写真は、京都霊山護国神社のお墓までの階段の一部。)
私は円山公園から歩いてきたので、
この京都霊山護国神社に到着するまでも、
けっこうな坂を上って来ましたが
お墓参りのためには、まだまだ階段を上っていきます。
長い階段を上っていくので、行かれる際は、
足元はスニーカーやローヒールの靴がおすすめです^^
本当に長くて急な階段が続くので、
ちょっと休憩がてら、景色をながめながら
上って行くのもいいかもしれませんね^^
京都霊山護国神社の境内から、
お墓があるところへ行くには、ゲートがあって、
そこに300円投入しないといけません。
100円玉しか使えないので小銭の用意が必要ですよ^^
坂本龍馬暗殺事件
(京都河原町にある、龍馬遭難の地の石碑)
当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>
薩長同盟を成功させ、大政奉還の成立にもかかわり、
江戸幕府の幕引きに大きな影響を与えた坂本龍馬。
大政奉還から1ヶ月後の慶応3(1867)年11月15日、
龍馬は、陸援隊の慎太郎と一緒に
河原町にある醤油商「近江屋」に居るときに、
7人の刺客に襲われ闘死。
犯人は、いまだ特定されてはいないが、
現在では、幕府により結成された京都見廻組との説が強い。
なお、龍馬は、天保6(1835)年11月15日生まれで、
慶応3(1867)年11月15日に亡くなっている。
誕生日と命日が同じ日である。
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