江戸時代末期の萬延元年(1860)年9月に、土佐藩は幕府の命を受け現在の大阪市住吉区に住吉陣屋をつくり、大阪湾の海岸警備をしています。
ですが、慶応2(1866)年には新たに京都の警衛を任されることになり、この住吉陣屋はお役御免で撤去されたんですね。
そんな幕末の数年間存在した、土佐藩の住吉陣屋の跡地を巡ってみました。
住吉陣屋跡
住吉陣屋は、今の東粉浜小学校や東粉浜幼稚園付近になるようです。
土佐藩の住吉陣屋の広さは1万坪強だったそうです。
京セラドーム1個弱、甲子園球場だと85%分くらいの広さになりますね^^
ちなみに土佐藩住吉陣屋跡の石碑がある場所は、東粉浜小学校や東粉浜幼稚園にあるのではなくて、幼稚園の北側の民家の入口あたりに2010年につくられています。
この石碑には、写真ではわかりませんが「坂本龍馬訪問の地」とも書かれています。
住吉陣屋で使われた石垣
土佐藩が京都の警衛を命じられた際、この住吉陣営は撤去され建物の主要部分は京都白川にできた陸援隊本営に移されました。
でも、石垣の一部が住吉の生根神社に残されています。
現存する唯一のもののようで、貴重ですよね^^
弾薬製造所跡
住吉陣屋には西洋の大砲もあり、砲術の訓練がよく行われていたそうです。
弾薬の製造所の場所は、現在の閻魔地蔵堂付近にあたるようです。
土佐藩の寺院「興善寺」跡
住吉陣屋で病気などで亡くなった人達は、藩の寺院である興善寺に葬られました。
でも明治維新後に廃寺となってしまい、その跡地は今は、住吉青年会の「住吉村常盤会館」という建物になっています。
住吉大社の常夜燈
龍馬も脱藩前住吉陣屋に訪れた際、時間が遅かったため門が閉まっていたので住吉大社の中の「通夜堂」というところで一泊したと言われていますね。
その住吉大社にも住吉陣営ゆかりのものがあるんです^^
住吉陣屋が撤去された際に住吉陣屋の大部屋の人たちが常夜燈を住吉大社に献納したそうです。
150年以上経った時代にこの常夜燈を探しに来る人がいるなんて、きっと当時は想像もしていなかったでしょうね^^;
その常夜燈は、住吉大社の北西の入口あたりの時計台の下に今もありました^^
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