龍馬は、大阪の住吉陣屋にまだ脱藩前の時期に2度ほど訪れたことがあったようです。
残念ながら、「竜馬がゆく」のなかにはそのシーンは書かれていないので、最近まで知らなかったです^^;
脱藩前に来た時期は、剣術修行をしていた若かりしころではなく、脱藩直前。
土佐勤王党の一員として、武市半平太(たけちはんぺいた)の書を長州藩の久坂玄瑞(くさかげんずい)に届けるために萩へ行った帰りでした。
1回目は文久元(1861)年11月上旬で、萩に行ったけれど久坂玄瑞が不在だったので大坂へ来たとみられています。
その時親しい間柄で同じ土佐勤王党員の、後に池田屋事件で自害した望月亀弥太(もちづきかめやた)の兄の望月清平(もちづきせいへい)と会っていたようですね。
望月清平と会った後その足で再度萩に向かって久坂玄瑞と会い、その帰りに再度大坂へ来たんですね。
龍馬が一泊した住吉大社
龍馬が2度目に住吉を訪れた文久2(1862)年2月8日、住吉陣屋を訪ねたものの日が暮れてしまって閉門していたので、住吉大社の通夜堂というところで一夜をすごしたそうです。
龍馬が詣でた北畠顕家ゆかりの地
龍馬は、住吉大社で1泊した翌日、住吉陣屋から来た旧友の檜垣清治(ひがきせいじ)と一緒に北畠顕家にまつわる地を散策しました。
最初に訪れたのが、南北朝時代の史跡の阿倍野古戦場跡でした。
このあたりは現在、北畠親房(きたばたけちかふさ)公と北畠顯家(きたばたけあきいえ)公を祀っている阿倍野神社になっています。
古戦場に行った後に龍馬たちが訪れたのが、北畠顯家の墓所でした。
阿倍野神社から徒歩15分ほどのところにあります。
幕末の尊王攘夷思想を持った志士達にとって、南北朝時代に南朝側についた北畠顯家や楠木正成(くすのきまさしげ)などが尊敬を集めていたんですね。
大坂で宿泊「三文字屋」跡地
龍馬は、南北朝期の史跡を散策した後「三文字屋」という旅館で宿泊しました。
その旅館は、現在では住吉警察署になっているあたりのようです。
龍馬は、三文字屋に4~5日滞在した後、京都へ行ってから土佐へ文久2(1862)年2月19日帰りつきました。
そして翌月の3月24日に1回目の脱藩をしたんですね。
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