萬延元年(1860)年9月に土佐藩は、幕府から大阪湾の海岸警備のために現在の大阪市住吉区に1万坪強もの土地を与えられました。
そしてその土地に、土佐から職人はもとより、木材や石材までも運びこんで、文久元(1861)年5月に土佐藩住吉陣屋を完成させました。
住吉陣屋は、土佐藩家老の吉田東洋のもと後藤象二郎が普請奉行となって造られたんですね。
陣屋本殿、その東側に武芸所(文武館)、それ以外にも厩舎、火薬庫、射撃場、操練所があって、約300名の人数が常駐していたそうです。
この住吉陣屋へは、脱藩少し前の文久2(1862)年2月に龍馬も訪れていたんですね^^
土佐藩住吉陣屋跡
土佐藩の住吉陣屋があった場所は、現在は東粉浜小学校や東粉浜幼稚園になっているあたりのようです。
そして平成22(2010)年に東粉浜幼稚園の北側の民家の入口あたりに石碑がつくられていました。
この辺りには、友人もいるので何度も出向いてはいましたが、全く気づきませんでした-_-;
何気なく生活していると見過ごしてしまうものですね^^;
住吉神社石垣
慶応2(1866)年に土佐藩は住吉陣屋の警備が免除となりました。
そのため住吉陣屋は撤去されてしまいました。
ですが、住吉陣屋で使われていた石垣の一部が近くの生根神社に今でも残っています^^
社務所と思われる建物に使われているようです。
行ったのが年末で大掃除をしていたためか、金網の戸が開いていたので撮影しやすく助かりました^^
でも、観光用に整備されているわけでもないので、お酒の一升瓶が入っていたケースのようなものが石垣の前に無造作に転がっていました。
神社にとっては意味のない石垣なのかもしれませんが、ちょっと悲しかったですね^^;
陸援隊本営
住吉陣屋が撤去されるにあたって建物の主要な部分は、京都北部の白川の土佐藩邸内にあった、中岡慎太郎が隊長となった陸援隊の本営に移築されました。
陸援隊本営の名残は今はもう残っていませんが、陸援隊の跡地は、現在の京都大学吉田キャンパスになっています。
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