勝海舟屋敷跡地 当サイト神戸市中央区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>
今までは京都を巡ってきましたが、
今回は神戸の街を歩いてみました^^
神戸といえば、龍馬が大好きな船や航海のことを学ぶために
幕臣の勝海舟(かつかいしゅう)が進言してできた海軍操練所が開設されたときに
一緒にできた勝海舟の私塾の海軍塾で、
塾頭としていたところですね。
まさしく神戸の中心、三宮駅前界隈の、
神戸交通センタービルのあたりが、
勝海舟が屋敷を構え、私塾の海軍塾を開いたところと
いわれているんですよ。
神戸海軍操練所
神戸海軍操練所史跡 当サイト神戸市中央区史跡マップ③番の位置 MAPはこちら>>
海軍操練所跡の史跡は、神戸市中央区の京橋交差点あたりの
NTTdocomoビルの敷地にイカリの形で
ドン!とありました。
想像していたより大きかったです^^
イカリの形の史跡の横にある石碑は、
阪神大震災の時に、倒れて割れてしまったんだそうです。
左側の写真が、当時の海軍操練所の写真です。
そして、右側が現在の写真でNTTdocomoビルです。
時代の移り変わりをとっても感じる写真の違いですよね^^;
右側の写真の建物の中で、龍馬や陸奥宗光(むつむねみつ)らが
学んだんですねえ…
でも、池田屋事件や禁門の変に
この海軍塾の塾生が参加したことで、
1年も経たずに閉鎖になってしまったんですよね。
海軍営之碑 当サイト神戸市中央区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>
神戸市中央区の山手に「諏訪山公園」があります。
ここには、勝海舟直筆の碑文が掘られた、
海軍営之碑が設置されています。
本当なら海軍操練所内に置く予定だったんですよね。
、
でも海軍操練所が、早々と閉鎖されてしまったため、
この石碑は生島四郎太夫に預けられたあと、
大正4年に当時の神戸区へ寄贈されて
諏訪山公園に据えられたそうです。
この諏訪山公園は、三宮からもそんなに遠くなく、
神戸港を見下ろせて、夜ともなると夜景がきれいそうですよ^^
神戸村の庄屋「生島四郎太夫」
神戸海軍操練所史跡 当サイト神戸市兵庫区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>
勝海舟が、神戸の地に海軍操練所をつくるにあたって、
力を尽くした生島四郎太夫が、
神戸市長田区にある祇園神社に、
明治になって奉献した灯篭があると聞いて行ってみました。
祇園神社の階段はかなり急でした^^;
がんばって階段を上りきって
生島四郎太夫が奉納したという灯篭を
境内をくまなく探したんですが、無い!
何周回っても無い!!
仕方なく階段を下りていたら、
なんと階段途中にありましたっ(笑)
神社にあるって聞いてたので、
境内にあるもんだと思っていた…^^;
思い込みっておそろしい(苦笑)
この石灯篭は、明治になってから
納められたものだそうですが、
発見されたのは、最近のようですね。
灯篭には、生島四郎と掘られています。
写真にはありませんが、名前の反対側には、
明治十五年と読める文字が彫ってありました。
でも、薄くて読みづらかったので間違ってたらごめんなさい^^;
生島四郎太夫別邸跡地 当サイト神戸市中央区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>
他のブログなどで、生島四郎太夫の別邸で、
勝海舟が仮住まいとしていた屋敷の
門の写真が時々載っていますね。
祇園神社のすぐ近くということだったので、
近辺を何度も歩きまわりましたが、見当たらず(泣)
なんと、別邸跡は取り壊されて、
新しい住宅かマンションを建てるための工事中でした!
あと2カ月早く行っていれば、間に合ったのにぃ。
とっても悔しい思いをしました(泣)
湊川神社
祇園神社から下って地下鉄の大倉山駅を更に南下すると、
湊川神社があります。
ここは、楠木正成(くすのきまさしげ)が
祀られている神社です。
ここへ龍馬をはじめ、西郷隆盛(さいごうたかもり)ら
勤王志士たちは、ここへお参りし、国に尽くすことを誓ったそうです。
龍馬は、この地で歌を残してもいるようです。
題)湊川にて
「月と日のむかしをしのぶみなと川 流れて清き菊の下水」
歌の意味はわかりませんが、
この湊川で何か思うところがあったんでしょうね^^
今回湊川神社の写真の出来が悪くて掲載できていませんが、
また次回行ったときにちゃんと撮ってアップします^^;
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